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こめの、えいがぶろぐ

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09.13 殺人鬼フジコの衝動/真梨幸子 ★4

小説
殺人鬼フジコの衝動 (徳間文庫)/真梨幸子 ¥680 Amazon.co.jp  米評価 ★★★★☆ 著者 真梨幸子 内容 一家惨殺事件のただひとりの生き残りとして、新たな人生を歩み始めた十歳の少女。 だが、彼女の人生は、いつしか狂い始めた。 人生は、薔薇色のお菓子のよう…。またひとり、彼女は人を殺す。 何が少女を伝説の殺人鬼・フジコにしてしまったのか?あとがきに至るまで、精緻に組み立てられた謎のタペストリ。最後の一行を、読んだとき、あなたは著者が仕掛けたたくらみに、戦慄する! ネタばれ注意! 感想 なんだこれあざとい。 あとがきまでが物語です と、帯に書かれているので、この小説を読んでいる最中も「もしかしたら?」と予想したりするのだが、あとがきが終わり、次のページを開き唖然。 一瞬の内に、自分の記憶を必死に思い返し、小説の表紙を見返してしまう。 なんだこれあざとい。 “虐待された子は、またそれを繰り返す” という、今の世の中ではそうゆう負のスパイラルがきっとほとんどの人間に埋めこめられているだろうから、この小説を読んでもああ、それも同じ類かと思ってしまうかもしれない。 でも、中には違う子だっている。 この小説にも“反面教師”という言葉が出てくる。 作品とは少し離れた話になるかもしれないが、誰しも小学校の頃に理科で学ぶ優性劣性のマメの話。 メンデルの法則 たとえば、対立形質を持つ純系同士の交配では、子の代では1:0の割合で片方の性質が現れるが、これは見かけのことであって、劣性が遺伝していないわけではない。孫の代では3:1の割合で両者の性質が現れる。 というやつ。 虐待の伝染もしかり、反面教師とならずもまともな考えを生まれながら持ち、環境に侵されてしまうことなく育児をする親だって居る。 海外や日本国内で、残虐非道な殺人事件が起きた際、よくこの“虐待”という話を聞くことがある。 だが上記にもあるように虐待されて育った人間が必ずしも殺人鬼になるわけがない。 それは生きていれば理解できることだと思う。 それでも、なぜ“虐待”が浮きだって見えてしまうのか。 それは大量殺人を起こし殺人鬼になる子供がかなり高い確率で“虐待”されてきた子供だから。 じゃあ、人は生きていく環境で精神を病んでしまった場合、殺人を起こすのか? そんなわけはない。 いくら遺伝なり、家庭環境なり、メンデルの法則でいう劣性の部分が含まれていたとしても、改善出来る人間がほとんであると私は思う。 話が大分それてしまったので、作品の内容に戻ります。 この小説における殺人は、サイコパスではあっても快楽殺人ではないと思う。 「この人間が邪魔だ」と考えた際にフジコは殺人という手段で人を遠のけていった。 そこにフジコが快楽を覚えることはなく、ただ一種の手段であっただけ。 それは、「母親のようにはなりたくない」という一見反面教師と思えて、自分も同じ事をしてしまう、何か病的なものも感じられた。 フジコ自信も気づいている通り、保健室に逃げ込み、いじめなり虐待が誰か善意ある大人に知られていれば、フジコの運命も違っていたのかもしれない。 そう考えると、フジコのまわりの大人たちはなんとも嫌な人間しかいない。 元凶とも言えるフジコの母親。 引き取ってくれた叔母。 初めて付き合う彼氏。 仕事を紹介した保険員。 あとがきにもあるように、フジコはただの人形として、空回りもて遊ばれているようにも思えてくる。 が、フジコ自信が人形になりさがることなく、自分自身の意見を持っていれば違ったのではないだろうか。 フジコの母親のようになりたくないのであれば、そう心に決め行動を伴えばいい。 叔母の「母親のようにはなるな」というマインドコントロールを跳ね除ければいい。 男なんて世の中には他にもいるわけだから、彼氏にとらわれなければいい。 職で困っているのであれば一刻の大銭に惑わせなければいい。 今、書いていて思ったのだが、フジコにおいてはそれは無理であろう。 上記のように気づく人間は、大抵、普通の家庭で育ち、自分自身の意見も尊重され、まわりの大人なり友達なりも信用できる人間に囲まれている気もする。 少なくとも信用できる人間がひとりでもいる。 だがフジコにはそれがいない。 一切いないというわけではないが、フジコは自信の考えからそれをはねのけて生きて行っている。 あの時、コサカさんの話しさえ聞いていればよかったのではないか。 コサカさんみたいな人間を殺してしまわなければよかったのではないか。 これもまたたらればの世界なので、フジコの衝動は多分止められなかったであろう。 男子からの性的ないじめ、女子特有の仲間意識、虐待する母親、子供の脳裏を操る叔母、初めての彼氏、中退後の就職。 このキーワード全てがフジコにのしかかってくるわけであるから仕方がない。 それも20歳という若さで全てを経験するわけだから。 殺人鬼となりえない人生といったら、自分を責め自殺をする。 ああ、これも今書きながら気づいた。 フジコは殺人鬼となり全ての感情から逃げ、早季子は自殺という手段で感情から逃げようとしているんだ。 このタイトルにあるように、フジコは“衝動”で全てを歩んできている。 それに打ち勝つ理性を持つには家庭環境が悪すぎる。 そう考えると、幼少期の育児なり、学生生活の対人関係というのは、その人にすごく重要なものなんだなと改めて実感させられます。 あとがきを読み、最後のページをめくり、私の頭の中は一時崩壊しました。 冒頭から最後までかかった時間は2時間。 帯にあるように、まさに一気読み。 私が読んだ小説の中で一番、物語に引きこまれどんどんページをめくっていった作品だと思います。 これが本当の事件になってしまわぬよう、世の母親は今一度自分の育児を振り返って欲しい。 世の男性は自分の女性に対する態度なり、子供に対する扱いを見なおしてみて欲しい。 少なくともこの小説の中にある話。 どれかは自信で体験したことがある内容があると思う。 確かにダメ女の転落人生と思われても仕方が無いかもしれない。 この作品自体も、読み終わりの感想どおり、あざといかもしれない。 何かに直面した際、人は衝動に打ち勝ち理性を持つ事はできるのであろうか。 例えその理性が成人までに養われなかったとしても。